月別アーカイブ: 2020年3月

立ち留まって・考えるべきこと

野口英世博士にしても、

北里柴三郎博士にしても、

シュバイツァー博士にしても、

感染症と闘った・功績からですよ。

人類の歴史は、

感染症との闘いの連続であった・

と言っても過言では・ありません。

私たちが・普通に、

風邪をひいたって言うでしょ?

アレは、ヒト・コロナウィルスによる感染症です。

ウィルスだから、

抗生物質は効果ありません。

栄養補給と寝るしか・ないんです。

インフルエンザは強敵です。

ワクチン接種しているから・大丈夫!

そうでしょうか?

ウィルスは日々、進化します。

今年は、

どのような型のインフルエンザウィルスが流行するのかは、

本当は・判らないンです。

ソレを、

知恵を搾って、

人類の健康を守るために、

研究者たちが、

予想し、

工夫を加えて、

先取りして・ワクチンの製作に取り掛かるンです。

ですから、

本当のウィルスの型に、ドンピシャな薬では・ありません。

ただ、

可及的に近くモノを創れる、

研究者の英知によって、

毎年、毎年の恒例行事となった、

ワクチン接種のお知らせが・ある訳です。

でも、

ワクチン接種しない方も・多いでしょ?

新型コロナウィルス騒動。

もっと・冷静さを・保って頂きたいと・思います。

私の診療所を1度でも・お越しになられた方。

感染症対策の徹底さを・十分・ご認識。

安心して、

お越しになられて・おられます。

あとは、

普段の習慣づけを、

もう1度・見直してください。

過度な・潔癖症になることは・愚かです。

逆に、

抵抗力を失います。

普通に、

手洗いと・うがいの習慣づけが・大切ナンです。

消毒用アルコールが品薄と、

耳にしました。

行き過ぎた行為です。

私の仕事は、

消毒用アルコールを浴びるように使います。

その結果、

手は、

いつも・荒れていますよ。

御婦人用のビデの普及は、

婦人科系の疾患を激減させました。

が、

行き過ぎた・ビデによる洗浄は、

膣カンジダ症の原因になります。

何事も・ほどほどという言葉を・再考すべきです。

ノロウイルスの恐さを傍目に、

生牡蠣は、

平気で・食べるじゃない・ですか?

医学は進歩しています。

新しい風邪には、

十分なる警戒を・してください。

でも、

日々の生活を乱すほどの病気ではないのですよ。

ソレよりも、

世界中が最優先で・行う事は、

テロ国家、テロ集団による、

生物兵器の使用と、

核兵器根絶では・ないでしょうか?

これらが現実のモノとなれば、

目も・あてられない惨状になるのですよ。

そういう大事なことは、

政治家に丸太投げ。

そのような姿勢を、

もう1度・見直すキッカケに・なって欲しいと・思います。

平常通りの気持ち

まるまる2日は必要だと、

休診にして、

捻り鉢巻きで、

新しい患者さん群の・資料を前に、

診療計画を立案する作業に専念。

で、

イヤー・私も・まだまだ若いなと。

元来・ノリの良い・単細胞ナンです。

グググ・グンと、

精力的に・集中力の持続する体力が、

残っていたんですね。

夜が明けるのを、

窓の外が・明るくなる事で、

気づいたのです。

終わり~!

余った・丸1日を休息すれば良いモノを、

貧乏性で・ジッと出来ない私は、

車を阪神方面へと・走らせたのです。

外国からの観光客が居ないようでした。

その分、

デパートは空いています。

ほぼ店内の全員が、

マスク着用。

異様な雰囲気です。

街並みを歩く人は、いつも通り。

喫茶店も・いつも通り。

意外でした。

先の東北大震災から9年を・迎えます。

当時も・大変な状況でした。

が、

さぁ・復興だ!

という目標が・ありました。

地下鉄サリン事件の際、

今ほど、

日本中は・パニック状態には・なっていなかったように・思います。

本来ならば、

何処で・サリンを撒かれるのか、

判らない筈ナンです。

でも、

日本は、

冷静に動いていました。

コロナウィルスなど・比べものにならないサリンにも、

関わらずです。

ニューヨークでのテロの際も、

日本は冷静に判断・行動していたように・思います。

が、

今回のコロナウィルス騒動。

ウィルスですから・見えません。

目に見えない恐怖で、

日本が冷静さを・失っているように・思います。

また、

日本は中国や韓国などの観光客に、

依存し過ぎる・国に進路を振りすぎたようです。

まだまだ日本には・底力が・あります。

国内の需要で・十分に手当てできる力があります。

落ち着いて、

行き過ぎた・不安に煽られた行動は・慎むべきと。

外出したら、

手洗いと・うがい。

私が・ガキの頃から、

学校の先生や・家族から、

口うるさく・言われた・普通の事です。

大人たちも、

建前でなく、

自分も・実行するキッカケに・なったと、

そんな程度の動機付けと、

考えるべきでしょう。

先ずは、

平常に戻すことが・肝要だと・思います。

 

 

今日・明日は休診を頂きます

この頃・患者さんが多く、

患者さんの資料を前に、

治療計画を・ジックリ検討する時間が欲しいと。

エィっ!

いっそのこと・まとめて時間を作ろう!

という訳で、

勤務は・相変わらずの午前7時30分。

院長室と技工室を、

行ったり・来たり・しながら、

【考える】歯科治療の【基】創りに・専念しています。

通常通の診療は、

5日の金曜日からです。

根管治療のトリートメント・センター

診療の内容によって、

私の診療チェアーの環境は、

大きく・変化します。

私愛用のシロナ社の歯科治療用チェアーの名前は、

トリートメント・センターです。

まさしく、

今日の根管治療の患者さんの治療に際しては、

私のチェアーは、

根管治療のトリートメント・センターと化した訳です。

ものすごく多くの【道具】が・要るんですよ。

患者さんの手前の・隙間に、

私が、

入り込む訳です。

で、

天井からは、

マイクロスコープを下げてきて、

私が・覗きこむ。

で、

数時間の【根管治療】が・行われるのです。

私はマイクロスコープしか・視てません。

器具は、

アシスタント・ワークに・なる訳です。

息がピタリと・合いませんと、

スムーズな・根管治療は、できません。

影響力

朝、

ポストから、

届いた書籍、葉書などの束を、

確認していると、

日本歯科大学・

校友会報が目に留まりました。

毎号の学長のエッセイを・楽しみにしていました。

で、

お目当てのコーナーは?

と、

頁を捲り、

ハッと!

身体が・凍りついたのです。

日本歯科大学新潟歯学部 口腔外科講座 初代教授であった、

加藤譲治先生の・懐かしいお顔だったのです。

今、拝見しますと、

先生のお顔だちの、

お若い事にも・驚いたのです。

当時の印象では、

ソリャ・恐ろしい恐竜のようなイメージで、

先生の白衣姿が・視界に入るや否や、

私は・後ずさり・していた・モノでした。

ソリャ・迫力満点の名医でしたね。

でも、

温情・熱い先生でも・ありました。

先生がよくプライベートで立ち寄る所が、

私の自宅の・まっ前でした。

ですから、

よく顔を合わせる機会が・ありました。

そんな時、

ニヤリと笑って、

ご自身の自動車のキーを、

ポ~んと、

私に放り投げ、

洗車・頼まぁ!

私ですか?

天下の加藤譲治教授の愛車ですよ!

炎天下・だろうが、

真冬日・であろうが、

汗だくになって・仕上げたモノでした。

終わった頃を見計らって、

オイっ・お疲れさん。

ホラッ。

ガレージの床に・並んで缶コーヒーを、

一緒に飲んだモノでした。

そんな時、

【鬼手佛心】という言葉を、

初めて・先生から伺い、

医療職の生き方など、

ボソボソと、

先生独特の語り口調が・懐かしい。

たまに、

男子用トイレでご一緒した際には、

私の尻を、

ポンと・叩いて、

遊びも・ほどほどになっ!

直立不動の姿勢で、

用を足した記憶も・懐かしい。

日本歯科大学の学生として、

加藤譲治先生の存在は、

誠に誇らしかったのです。

先生は58歳の若さで・お亡くなりに・なりました。

私も、

歯科医師として、

一生懸命に過ごしてきましたので、

先生の事は、

思い出す機会も、

多かったと・思います。

が、

いきなりの、

先生のお写真を前に、

思わず、

姿勢を正して・しまいました。

先生のお元気な頃の年齢は、

今の私よりも、

ズッと若かったのには・驚きました。

あぁ・私も・もっと・シッカリせねば!

と、反省しつつ、

若い世代への・影響力も考えて、

日々の・生き方も・見直そうと、

朝から、

身の引き締まる・想いに・なりました。