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時代

昔の方が良かった!

と、

嘆いている訳ではありません。

例えば、

山手線などの電車の中や、

駅のホームで、

大勢の人でごった返していても、

平気で喫煙する人が当たり前のように居たものです。

子供の眼に接触したらどうするの!

隣の人の洋服に穴が開いたらどうするの!

そんなこと言おうものなら、

逆に、

張り倒されそうな、

そんな時代も在りました。

飛行機の中でさへ、

立派に喫煙席が在りました。

こういう事は、

今の時代の方が常識的だと、

私は冷静に観ている積もりです。

ただ、

個人情報保護法施行の頃あたりから、

なんだかギスギスしてきた気がするのは

私だけでしょうか?

何処から秘密で、

何処から公なのか?

私はサッパリ判りません。

また、

ハラスメントと云う便利な単語が出現して来てからは、

なにもかもが恐ろしくて、

私などは身動き取れなくなりました。

紳士のタシナミって云うやせ我慢が、

自分の物指しで在ったのに。

時代でしょうか?

って、

そんな台詞で片づけていいんでしょうか?

考えること

今は午後の4時半を過ぎた処です。

今日はやっと、

机の前でゆっくり出来ました。

患者さんの数は何時もと変わりませんのに。

患者さんとお話ししたりで。

昨夜は珍しく遅くまで読書を。

梅原 猛氏の古い書籍に引き込まれていました。

【考える】ことが好きです。

ただ、

その傾向が強いかもしれません。

歯学博士を英語表記すれば【ph.D】と表されます。

ドクター.オブ.フィロソフィと云うことでしょうか。

フィロソフィと云うからには、

【考える】ことが主体なる学問であると云う。

意外でしょう?

手先仕事の歯科治療を支える歯学がね?

【考える】人であり続けたいですね。

父息子

息子としばしば電話で会話するようになりました。

昨夜、

息子が語り出しました。

父ちゃんが以前、ポツンと口にした

【やむを得なかった】

と云う台詞。

小学時代に父ちゃんと一緒に

婦人科のオッチャンの見舞に行って、

オッチャンが言った台詞。

【やむを得なかった】

中学の時も、

高校の時も、

全然、判らなかった。

今ね、

なんとなくやけれど、

チョッとだけ判るような気がする。

私ですか?

そうか、

とだけ。

また、

このような事も言われました。

父ちゃんは全部、

自分の裏側まで息子に曝けだすけど、

それは凄いことだと。

私ですか?

これからお前も、

一波、二波、

では済まんわな。

次々と大波が来るで。

でな、

本に載ってるような立派な人が居る筈ないわな。

少なくともお前の親父は、

泣いたり、

心細かったり、

気が小さくクヨクヨしたり、

悩みに悩み抜いたり、

絶望に喘いだり、

まぁ、たいしたことないのや。

其れをシッカリと息子のお前に見せておく。

いつかお前の安心材料になる筈じゃ。

だから俺は隠さない。

私は息子とは、

相手が子供と云うことを無視して、

ズッと、

こういう姿勢で接してきました。

それが正しいのか、過ちであるのか、

私には判りません。

物事の基準は、

時代によって様変わりするものです。

昔の普通が、

今の異常って多いじゃないですか?

ただ、

自分を支えるつっかえ棒みたいなもの、

心を秘かに避難させる術ってものを

私は教えておこうと思ってるんです。

私も55になります。

辛い時でも、

自分の方が守ってヤらねばならない者の方が多いんです。

誰かの処へ、

避難する訳にはいきませんし、

逆に、

正面から向かい合わねばなりません。

だから、

男はつらいよって

映画のタイトルにもなり、

長い間ヒットし続けたんじゃないですか?

息子が言います。

友達の間で、

父ちゃんの話しで笑いに花が咲くんさ。

私ですか?

そうかい。

とだけ。

 

頃合い

今では判った顔して、

それなりに大人の男を演じているものの、

実際には、

幼い頃から何にも変わっちゃいません。

好奇心も相変わらず。

幼い頃、

神社仏閣参りが好きだった私は、

今でも、

夏の酷しい日射しと蝉時雨の中に立つと

思い出すのです。

静まりかえった寺の中。

都合の良いことに、

留守番婆さんは不在の様子。

そ~と、

本堂の奥の、

祈祷台の向こう側まで、

そぞろ歩き。

で、

ご本尊さまを安置したる大きな蓋に手をかけて、

そ~と、

開いて秘かにご本尊さまのお顔を

仰ぎ観るのです。

何でも次の御開帳は30年も先のことと云う。

それならば、

とっくに大人になってしまうじゃないかと。

手をあわせて日頃を感謝するのに、

仏さまが怒る筈はないだろう!という。

観るなと云われれば、

観たくなるのが、

私の性分だったのです。

時代劇の忍びの者に影響され、

家の天井裏に上がって、

足元誤って、

大きな穴を空けたことも在りましたっけ。

こんな様子ですから、

家でも、

学校でも、

しょっちゅう叱られていました。

医局時代でも、

よく叱られていましたね。

国道を走行中に、

前をトロトロ走る白いセダンに苛ついて、

シュパッっと、

追い抜きかけて疾走したら、

翌日、

突然に教授からの呼び出しを受けたのです。

気の毒そうな表情で私を観る秘書の顔つきを

今でも覚えています。

白いセダンの主が、

なんと私の指導教授その人だったのです。

師匠の車を追い抜くとはナニゴトか!

師の影を踏まず!

風呂に入ったら師匠の背中を流せ!

茹で蛸のように顔じゅう紅潮させて怒鳴りまくる

私の指導教授に、

直立不動の姿勢で両の手の先までピンと伸ばし、

神妙な趣でうつ向き

大いに聞く姿勢を見せるものの、

余りにも大人気ない口上に、

下唇を上の前歯で噛んで、

笑いを堪えるのが大変でした。

ですから、

私も幼なかったですが、

この指導教授は、もっと幼子であったように思います。

この指導教授の話しをすれば限りありませんよ。

私が学生時代だった頃には、

超ヘビースモーカーであったこの指導教授。

90分の講義の間に中座して、

教室前のロビーで喫煙タイム。

それがご自身が禁煙を始めてからは、

ありとあらゆる処は絶対禁煙とし、

煙草の煙を見れば、

手で払い退けるほどの変貌ぶり。

こういう処は、

至る処で発揮され、

スキーにハマれば、

日曜日の早朝、

私などはご自宅までお迎えの運転手。

おう!三枝!

歯科保存学を制するためにはスキーは必須!

と、

訳の判らぬ自説を延々と。

私の車であるのに、

助手席で脚をフロントグリルに乗っけて、

缶ビールをグイグイ飲む始末。

今度はゴルフ。

自分のショットのあとは、

後ろに並びし弟子たちに、

ナイスショット !

と言わせるスタイル。

次にハマったのがダンス。

学会の親睦会にて、

ブラックタイの出で立ちで、

スーパー?ダンスをご披露に。

本当に恥ずかしい思いをしたもんです。

今でも、

ご当人を除くみんなが集まった際などには、

蛸と云う渾名で、

酒の肴にされているとも知らず、

良い意味でも、

色んな意味あいでも。

まぁ憎めない大人でしたね。

今、

テレビなんかでコンプライアンスって聞くでしょ?

私らの時代って、

今では全部アウト!でしょう。

ですから、

私なんぞ、

いつもハラハラしながら過ごしています。

私らの普通がハラスメントになりゃせんか?と。

でも反面、

厳しさも絶対に認められていた時代ですから、

医師教育と云う意味では、

当時に教育を受けた人間の方が

絶対に手が動くと思います。

なんでも程度、頃合いってなものが大切ですね。

 

 

 

患者さんとの雑談

30代の女性患者さんとの雑談から、

とても大切な治療上のヒントを見つけて、

反面、

慌てたのです。

インプラントを埋入して10日ほど経過しての

チェックのために来院されていた患者さんです。

で、

この間、内科でお薬を出して頂いたのですと。

血圧が低いせいでしょうか?

寝起きが悪いんです、

それなら、

この薬を出しましょうって言われて飲んでるんですが、

なんか、足先の浮腫も取れたようで、

調子良いんです。

はぁ?

どれどれ?

何て薬?

眼鏡フレームを思わず手に、

えっ!

この薬の効果は血圧を上昇させるものでした。

そのメカニズムは、

薬が働いて、

先ずは身体の末端に行き渡った末梢血管を縮じめます。

血管が縮じむと血の流れが悪くなります。

で、

これはイカンと慌てた心臓がポンプの力を強化して、

結果、

血圧が上昇すると云う顛末に。

薬を飲めば即効性がありますから、

この方の云う

朝の寝起きの辛さは改善します。

私はこの女性患者さんに向き合って、

思わず、

大真面目に語ったのです。

確かに、

朝の寝起き辛さは良~く判ります。

でもね、

こういうメカニズムで無理やりに血圧を上げるんですよ。

無理やりが本当に何時まで続きますか?

ず~と、頑張れるものでしょうか?

また、

この薬には甲状腺への影響があります。

○○さんは確か甲状腺がお弱いと

私は認識しています。

今はコントロールされてますが、

そういう体質であると云う意識で

私は治療させて頂いています。

以前に私が治療したインプラントは経過良好ですが、

この前に手術させて頂いたインプラント今が1番大切な時期です。

いつも手術前には、

皆さんにお話しさせて頂いているように、

思い出してください。

術後4日目から、

骨芽細胞が出現して、

その後の3週間ていど活発に細胞活性が高まるのです。

この時期にバランスのとれた栄養の摂取が大切になりますし、

喫煙などを止めて、控えてと云うアドバイスがあるのは、

血行が悪くなることを恐れてのことなのです。

血の働きによって骨が出来ますから、

インプラントについては、

この時期は大切なのですよ。

後日、お医者にはご相談して頂くとして、

とりあえずは、

ある時期までは、

このお薬の服用は控えてください。

しかし、

お薬にお頼りになられる前に、

水分の摂取が少ないでしょう?

もっと沢山、意識して水分を摂ってください。

で、

民間療法のようで馬鹿にせんで下さい。

膝から足先の方へ向かって、

ご自身の手で、

シッカリとマッサージするようにして、

末梢まで血液を送って下さい。

健康は、

先ずはご自身で日頃の生活習慣を整へ、

ご自身でできるチョッとした手当てを続きることから

意外と簡単に維持できるものだと。

病気になってから後悔するよりも、

今、元気で体力あるうちに、

意識して過ごしてみませんか?

 

 

小学時代の思い出

私は昭和38年の生まれです。

ですから、

昭和中期の高度成長期に幼少期を過ごしました。

今でも小学1年生の担任であった中年女性の先生を思い出すのです。

評判の恐い酷しい先生でした。

入学式の際の担任発表のあと、

担任の名前を知った近所のオバチャンたちから、

尚登君は大変なことになった!と、

それはそれは憐れむような眼差しで口々にされたのです。

で、

想像を絶する私の小学校生活が始まったのです。

クラスの誰かが忘れモノ。

さすれば、

コリャ~!

お前ら!

全体責任じゃい!

クラスの全員を教室の後ろにズラリと並ばせ、

隣あった者同士の頭を鷲掴みし、

次々と、

頭つきしてゆくのです。

教室にはゴツン!ゴツンと云う鈍い音が鳴り響くのです。

小柄であった私などは、

要領を得て、

背の高い奴の横にサッと並ぶのでした。

頭つきではなく、

横の肩にぶつかる訳で、

私らは互いに痛みから逃げおおせたからです。

が、

敵もさること、

今度は私の顔を睨み付け、

横の生徒を動かし、

同じ背丈の生徒を連れてきて、

ゴツン!

トシ子ちゃんと云う大人しい女の子の

名前を今でも覚えています。

給食の好き嫌いの激しい女の子でした。

これも許してはくれません。

食べ終わるまで、

トシ子ちゃんだけ机の上には給食が。

凄まじいのは、

金曜日の給食が、

翌週の月曜日までトシ子ちゃんの机の上にありました。

考えれば、

トシ子ちゃんも頑固者。

ズット自分だけ、

机の上の給食とニラメッコですもの。

月曜日の朝の教室は、

腐った給食の異臭が漂っていました。

夜が来て、

ベッドに仰向けとなり仰ぎし天井を観ながら、

明日は何が起こるのか!

恐くて恐くて仕方がありませんでした。

幸か不幸か、

この先生、

1年の途中で、

体調を崩され学校から去ったのです。

確かに超ド級の凄まじさでしたが、

この先生だけが、

特殊だった訳ではありません。

4年の担任だった、

やはり女性先生も凄かったですよ。

おィ!三枝!

チョッと来い!

手招きするので、

席から前に鎮座する女先生の処へ行く私。

クワッ!

大きな翼を広げた鳥獣が、

喉に詰まった餌を吐くような音をたてて、

老女先生が痰をちり紙に吐き出すのです。

恐るべき柔らかそうな白い紙の塊を、

ホイ!手を出してみィ!

恐る恐る出でたる私の掌の上に

ポン!

で、

棄てて来い!

小学6年の時の、

これまた中年女性である担任には、

当時流行っていたダウンタウンブギウギバンド。

宇崎竜童さんと云えば懐かしい。

下げた位置でのエレキギターのネックを片手に握りしめ、

あんた!あの娘の何なのさ?

掃除の時間に友人たちと、

掃木をエレキギター代わりに、

あんた!あの娘の何なのさ?

これを

不幸なことに見つかって、

頭を鷲掴みされ、

黒板の方へ投球の所作!

哀れなる私らは、

黒板の板が枠から外れてしまう道具と化したのです。

どうですか?

今の人からすれば信じられないでしょう?

こういう先生って、

私らの時代は普通に居ました。

先生って恐い人って思っていましたもの。

今なら事件になっていると思います。

私らは、

こんな環境で育ったのですよ。

 

 

宿命

最も新しい治療の導入、

そして、

従来から在る確かな治療方法を

と云う

チョッと単純に聞けば矛盾する

2刀流の実践が必要なことに、

医療と云う分野の特殊性が在ると思うのです。

手堅い治療を心がけながらも、

でも時には、

リスクを背負ってチャレンジする気概も

私らの仕事には絶対に必要なのです。

その分別の根拠を

自分の中でシッカリと確立することが

医療人の責務であります。

てな判ったことを言っていますが、

その確かな根拠見つけの旅の最中でも在るのも事実です。

ですから、

毎日、毎日の診察に際して、

正直申し上げて、

心配で心配でなりません。

患者さんそれぞれに対して、

その時の自分のベストを出しきる努力と、

粘りと云う表現が最も適切かもしれませんが、

治療結果の合格点を、

少しずつ上昇させてゆきたいと、

好んで自分を傷める仕事かもしれません。

でも、

歯の一挙一動に興味をひかれ、

ついつい夢中になるのです。

変な話しですが、

レントゲンを診れば、

歯の寿命が判ってき、

その寿命を、

もっともっと延命させたいと

現状に戦いを挑むのが、

私の日常となりました。

それが知識を越えた知恵の取得であり、

また、

技術者の宿命だと思うのです。

大いに思うこと

先ほど診察を終えた患者さんは

私より5つほど年長の女性です。

大がかりなインプラント治療をし終えて、

初めてのメンテナンスにてお越しになられていたのです。

前回お会いしたのが2月ですから、

チョッとお久しぶりと云った感じでの再会でした。

朗らかな品の良い方です。

今は年老いた父上の日常のお世話に追われていらっしゃるのですが、

なんせ私らと同じ所謂バブル世代の方です。

で、

当時のお勤め先が東京の電通でと云う事で、

若い時分に遊び呆けていた私とは、

チョッと感覚の一致を感じて、

昔の話しに花が咲くのです。

で、

この方は

私からすれば凄い能力をお持ちなのです。

占い八卦の方がプロ並みにお詳しく、

信じたくないけど、

恐いから信じたい、

そんな感じで、

色んな占いのお話しを、

治療しているのか、

話しをしているのか判らない、

いつもそんな感じです。

ですから、

アポイント帳に、

この方の名前を見つけたら、

秘かに楽しみにしています。

バカバカしい話しですが、

占い八卦など信用しない方を

私は羨ましいと思うのです。

私は朝刊の占いコーナーに日々、

目を通して一喜一憂する質です。

思えば、

歯科医師と云う一生の仕事を選んだキッカケも、

高校時分に、

何故か、

足しげく通っていた

小さな庵の女性のお坊さんと親しくなり、

一緒に盤若心経を唱えたあとで、

不意に振り向いたこの御坊が、

ボク!歯医者になりなさい!

と、

ポロリと口にした台詞が

その後に妙に心に引っ掛かり、

で、

遂に、

私は文学部志望であった今までから

無謀なる反転ターンの暴挙へと出て、

今に到っているのです。

神さま、仏さま、

それが仏教でも、

ユダヤ教でも、

イスラム教でも、

キリスト教でも、

私には、

全ての神さま、仏さまの区別なく、

あぁ!ありがたい!

と、

合掌してしまうのです。

知的人から、

鼻で笑われようとも、

目には見えないけれども、

大きな力と云う存在を

ひたすら信じて、

合掌して何が悪いんじゃ!

と、開き直っているのです。

そもそも、

ありがたいと云う感謝の気持ちが、

そもそもは大切なのだと。

日本人のなかのDNAには、

自然界に対する感謝と畏れの感覚が、

刷り込まれていると思うのです。

母方の祖母が、

吹き出してしまうほどに、

そういう質でしたから、

私も自然と、

このような性格になったのでしょう。

科学の進歩を知れば知るほど、

知識の無さを思い知る毎日ですから、

やはり目に見えないけれども、

大きな力を実感するのです。

笑っちゃいますよ。

息子から、

父ちゃんは真面目過ぎると、

言われるような変貌を遂げたのは、

やはり、

天はジッとお見通し!

そんな境地に達したと共に、

反省多い日々を実感しているからでしょう。

【命とは自分の使える時間】

この言葉との出会いは、

私の胸をグサッと刺すほどの衝撃を受けました。

大切に使わせて貰おうと、

丁寧に綴る毎日をと大いに、大いに、思うのです。

 

 

 

 

 

まだまだ子ども

茹だるような炎天下だと思えば、

深夜に突然の豪雨に見舞われたり、

今年の夏に、

地球の変調を感じています。

週末は、

一歩も家から出ることなく、

ゆっくりと過ごしていました。

この暑さですから、

犬たちも散歩などしたがらず、

テレビの前に座る私に、

退屈すればジャレあってきたり、

で、

飽きたら昼寝。

そりゃそうだ。

彼女らはぶあつい毛皮を纏っているのですから。

本来の私の性格からしてみれば、

ジッとしていると云う行為は大変な努力を必要とします。

貧乏暇なしとか、

働かざる者喰うべからず、

などと云った言葉の生きた時代に

人間形成期を過ごしましたもので。

特に商家の育ちでしたので、

お得意先の百貨店などは休日祭日が稼ぎ時な訳で、

百貨店もお客さんで【ごっちゃがえす】ほどに、

今では信じられないほど繁盛していた時代ですから、

店から欠品の補充を求める電話が入ってくる訳です。

当時は便利な宅急便などありませんでしたから、

家の人間が冷房もない軽トラックに荷物を満載する

その助手席に、

それが私の幼い頃の夏の思い出でしょうか?

店も夜遅くまで、

大勢の人が働いていました。

夕食は交代で、

店の食堂で皆が摂っていたように思います。

そんななかを、

私は育った訳です。

小学校の低学年頃は、

確実に風呂は五右衛門風呂でした。

商材を仕入れた際の木箱を小斧で壊して、

風呂の燃料にするのは私の仕事でした。

風呂の外壁の小さな焚き場の穴から

溜まった灰を綺麗に取り除いて、

木を入れるのです。

これを考えてしないと、

空気が中にキチンと入りませんから、

煙がモウモウ!と私の顔を燻してきます。

それこそ咳き込みながら、

逃げ出す始末。

こんな事を何回か経験して、

風呂の焚き方を

身を以て覚えた訳です。

幼い子どもと云えども、

商家では、

ある役割は担わされていた、

あるいは、

自然と、

担うような仕組みが、

世の中全体で準備できていたように感じるのです。

それがいつ頃からでしょうか?

全てが全く違う国のようになってしまいました。

私などは、

昔のほうが、

国全体にエネルギーが充満していたような

そんな気がしてなりません。

今は夏休み真っ只中。

恐らく、

良い子はみんなお勉強なのでしょう。

でも、

これからの、この国の形を想像するに、

幼い頃こそ、

自分の身を以て覚えることに

夏休みと云うまとまった時間を

使って貰いたいと思うのです。

それが必ずいつの日か役にたつでしょう。

私もまだまだ若いと、

自分では思っています。

未熟者から、

早く脱出できるように、

幼い頃仰ぎ見た、

大人になれていない自覚がありますから、

もっと、もっと、

頑張って、

色んなことにチャレンジしてゆきたいと思うのです。

 

大切な時期

先週から引っ張る夏風邪に苦しんでいます。

平熱に下がりましたし、

喉の痛みも消えて、

ガラガラ声もスッキリ普通となり、

傍目には通常通りに仕事しているように見えるかもしれません。

が、

身体の奥底に未だ【風邪の根】が

潜んでいる状態であることが、

自分の身体ですから判るのです。

しかし、

医療のお陰を

これほど実感できた機会はありません。

薬の力で、

風邪を封じ込んでいるのが判るからです。

後は体力が回復するのを待つしかありませんが、

油断すると、

薬の力よりも、

風邪の力が盛り返し、

またダウンってことになるでしょう。

薬のない時代ならば、

とうに私はあの世行きであったと実感しています。

てな事を考えながら、

私の仕事についても真剣に考えてみるキッカケとなりました。

インプラントやブリッジなど

歯科の治療には様々な方法が在るのですが、

要は、

歯を失うことがなければ良い訳です。

そういう意味において、

私の大学院での専攻の【歯科保存学】が

ますます重要になってくるのです。

一般の方に【歯科保存学】と云う学問、

ぜんぜん馴染みが無いでしょう?

歯科保存学専攻の医師なり研究者は、

どちらかと言えば、

控え目で地味な人が多いのが事実です。

そういう事が、

一般へのアピール不足になっているのかもしれません。

虫歯の予防の防波堤を越えたラインの

最初期の段階でのファースト処置が

その歯の一生を決めると言って良いでしょう。

まだまだ簡単な初期の虫歯だと安心して

安易な治療を選んでしまうと、

どんどん悪化する歯科地獄に陥ることになり兼ねません。

初期の初期の段階での徹底抗戦が、

歯を失うことにならない

とてもとても大切な時期なのですよ。