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東京の宿にたどり着いたのは

既に深夜。

ワッカップ大関を一杯。

深い眠りにつきました。

習慣とは恐いものです。

いつもの時刻に目覚め、

いつものように読書。

が、

退屈で仕方がないので、

街へと。

街は未だ眠っているようです。

隅田川から神田川へと折れ、

川に沿って、

小路を選んで、

お茶の水を目指して歩きます。

交差点の赤信号にて足を留め、

見上げれば、

神田明神下。

あぁ、此処が銭形平次親分の居た処かと。

舟木一夫の歌うテーマソングを

人っ子一人居ない街。

私の音痴も聞かれまいと。

声高々に歌いながら、

通りを進みます。

神田明神さま。

鳥居の外から一礼し、

内藤正裕先生を先についてお待ちしようと、

足はますます速く進みます。

江戸期の絵地図が頭にしっかりと記憶されています。

ここは、

彼の大名の屋敷の跡であったとか、

東京は文明の都会ですが、

通りの名には、

しっかりと文化の匂いを残しています。

時代は移ろいでも、

通りの樹木や石畳は、

全てを刻んでいるに違いありません。

男盛り

診療が終わってから上京。

最終便です。

空港の到着ロビーに、

業者の方がお待ちだそうな。

夜の9時もまわった羽田のロビー。

そこから、

お仕事の打ち合わせだそうな。

先方の方にも申し訳ないと思います。

こんな夜遅くまで。

お仕事が終わった帰宅するまで、

相当の時間を要するのでは?

私は浅草付近で宿泊します。

帝国ホテルではありませんよ。

私は浅草界隈の街の匂いが好きです。

池波文学の影響かもしれません。

が、

彼の地においては、

明治の文豪の愛した宿が数件、

ひっそりと、

未だに営業しているのですよ。

古住まいの畳に

座って、

寝転んで、

蒲団で読書しながら眠ってしまう。

そういうのが好きです。

早朝の未だ人の姿が見えない頃から、

街へと出て、

墨田の街の息遣いを

鼻腔いっぱいに拡がってゆく

あの感覚が好きです。

で、

タクシーにて

講演会場へと向かうのでしょう。

夜は友人と、

お茶の水界隈の焼き鳥屋で一杯の日本酒を。

翌日も早くから遅くまで缶詰ですから、

高松市の自宅に就くのは、

夜も更ける頃でしょう。

月曜日は午前中だけ、

通常通りの診療です。

午後からは、

再び県外へと日帰り出張です。

男の50代です。

仕事盛りの年齢です。

ありがたいと、

感謝、感謝、感謝のみ。

問い合わせへの対応

ホームページの

【お問い合わせ】フォームからのメールには、

必ずご返事を差し上げることにしています。

が、

なかには返信しても、

エラーで帰ってくるものが在ります。

専門家に診て頂くと、

送ってこれれた方のメールアドレスのスペルミス、

あるいは、

意図的なものも、

と。

何れにしても、

私から返信しないということはありません。

その辺りは、

どうぞご留意ください。

歯の寿命

私がしきりに、

虫歯は、

初期の治療方法が重要で、

この如何により、

そのあとの歯の寿命を変える!

と声高々に言い続けているからでしょう。

急患でお越しになられた方の写真です。

詰めものが外れ、

大きな穴が開いています。

詰めものの下には、

虫歯が拡がっています。

で、

先ずは大まかに虫歯を除去し、

ラバーダム防湿です。

細菌ビッシリの唾液から患部を隔離し、

丁寧に丁寧に、

虫歯を取り除き、

ダイレクトボンディング修復。

急患でしたので、

まだ細かな形態修正はできていません。

次回、

ゆっくりと仕上げる予定です。

必要なもの

日曜日、

教会の帰りに立ち寄った書店にて、

コレを見つけました。

手に取って、

買い物籠の中に入れました。

昨日、

1枚目を捲りました。

【今日という日は自分にとって一番若い日】

今朝、

出勤してデスクに腰掛けて、

直ぐさま、

2枚目を捲りました。

【面倒なこと、嫌なことが、人間の幸せの素】

仏教家である木津無庵氏の言葉に、

仏教は覚悟の宗教であると云う。

また、

哲学者である西田幾太郎氏の言葉に、

世の中には、往々、何故に宗教が必要であるか、

などと尋ねる人があるが、

かくの如き問いは、

何故に生きる必要があるのか、

と問うのと同一である。

真摯に考え、

真摯に生きんと欲する者は

必ず

熱烈なる宗教的要求を

感せずにはいられないのである。

歯科医学と云う自然科学の

ど真ん中に身を置いて、

既に35年になります。

科学に生きる私は、

身体の不思議さに、

目に見えない力の存在を感じます。

それが神か仏の為せる技なのかは判りません。

ただ無意味なる自己流の解釈は

危険だと察しています。

答えなど出ない問いであることは判っています。

ただ、

今の私に必要なものが

何であるかは判っています。

 

男同士の友情

明日の夕刻から上京するので、

資料の整理をしていました。

そんな夜、

大学時代の同級生からメールにて、

今、電話して良い?

コレが良く耳にする今風のエチケットなのか、

と、

親友であるのに、

なんだか水くさいような気持ちになり、

直ぐさま、

私から電話を入れたのです。

相変わらず私は電話野郎のままです。

彼は浅見知市朗博士です。

親友であるのに、

博士と表現するのは、

彼の学者としての姿勢、業績を尊敬しているからです。

彼は間違いなく、

私にとっての一番の親友です。

18の歳から今も変わらず親交が続く訳は、

互いの性格が真逆のようで、

でも、

肝心な価値観は一致しているからだと思います。

昔から、

彼の言葉だけは素直に聞けるのです。

意に反する言葉も耳にします。

そんな時、

彼の言葉なら私は素直に、

その意見を採り入れるのです。

彼は群馬県の医療系大学にて、

解剖学の教授を務めています。

毎日を若い人との関わりを持ち、

医療人へと育てる仕事に情熱を傾ける彼は

臨床家から離れてから、

すっかり気持ちに若さを取り戻したように思います。

彼は教育者、学者として、

のびのびと今も青春坂を駆け登っています。

そんな彼に、

精一杯に大声でエールを送っています。

彼は彼で、

歯に生きることが全てである私に

肝心な時に、

肝心な要所を、

日本刀のような鋭さで、

バサッと、

一太刀浴びせてくれるのです。

皮1枚、

否、

額からスーと血が流れるほどの

手加減にて。

ここに彼の真意と心意に

感謝しています。

これは男同士の硬い友情が

確固たる故の所作でも在ります。

良い友を持ち、

人生の幸運な人だと、

彼の声を聞く度に、

感謝しています。

読書

そんなに沢山の本を

忙しいなか、

いつ読むのですか?

と、

尋ねられました。

時間は造るものです。

診療の傍らの研究も、

古い車の修繕も、

何事も忙しいで片付けていれば、

何も前へとは進みません。

私の読書は、

人生と云う旅には欠かせない食べ物だと。

 

原理原則

何時でしたか、

某インプラントメーカーの方が、

発売予定のインプラントの説明のために

わざわざお越し下さいました。

添付資料やカタログのゲラを前に

熱心に説明してくださいました。

で、

その製品の研究のデーターと論文を依頼し、

今日、

その返答として再び

診療所へお越しになられました。

誠実な対応に感謝しました。

で、

先ずはサッと目を通すことを初め、

あることを考えていました。

アルキメデスの原理は不変です。

コレが変わることはありません。

原理原則とは、

そういうモノです。

昔は通用したが、

今は通用しないというのは、

原理原則ではありません。

原理原則に例外はないのです。

インプラント製品が雨後の筍のように、

毎年次々と出現しています。

メーカーそれぞれの工夫が見受けられます。

これは工夫でしかありません。

インプラント業界を含めた歯科業界は、

未だに骨の原理原則に気がついていないようです。

多くの症例を誠実に施術させて頂き、

長い経過症例から学んだことは、

やはり、

開発者であるブローネマルク博士の言う

インプラント治療の原理原則が正しいと

つくずく感じています。

開発が、

全て科学的なモノである確証はありません。

研究が、

全て原理原則を探す旅であるとも言えません。

人が関わる問題においては、

全て主観と意図が含まれると考えます。

それを見抜くのが、

私ら臨床医の大きな仕事でも在ります。

中国、我が国に及ばず、

西欧の古い書物に興味を抱くのは、

物事の有り様の見つけ方のヒントが在るからです。

私は人の身体を与る医師です。

医師は人を知らねば、

深い部分が見えません。

また、

宗教と人の営みは切っても切れません。

そのような意味合いにおいて、

仏教から神道、

そしてカトリックへの私の旅が始まったのです。

我を捨てる

教会へ通う度に神父さんは

我を捨てなさいと

仰られます。

耳では素直に聞いています。

我を捨てる。

私の仕事と、

この教えを、

何処にも矛盾なく共存させるように

私は考え続けていくでしょう。

自分と云う個性を、

治療する歯に封入してこそ、

病であった歯の治癒が得られるからです。

面白い文章に出会いました。

文字で心を洗い、

心のノミで顔を彫る。

小島直紀氏の著作から目に止まった言葉です。

また、

風雪に耐え抜いてきた顔

と云う一節にも興味を強く惹かれました。

生きることと

仕事に生きることは、

今でも私の中では一緒です。

自分の知識の一層の向上のために、

私は練習やトレーニングも欠かしませんし、

多くの書物や文献にも目を通すことを

苦労とは思いません。

書物から得た知識を、

今度は実体験で磨きをかけて、

見識を深めたいと思います。

そこから私と云う個性が生まれ、

私の顔が形成されてくるものだと

信じて来ました。

私は我が儘は、

歳を経るごとに収めるべきと考えています。

好好爺で良いじゃないですか?

でも、

我を捨てる。

この意味を考えて過ごしたいと思います。

世界中の誰もが自分を賞揚しても

私は独り静かに満足して座っている

世界中の誰もが私を見捨てても

私は独り静かに満足して座っている

ホイットマンの詩作です。

心に泊まりました。