折角の休養の積もりが、
習慣って・恐いですね。
朝食も・そこそこに、
宿を一路・新潟へ向けて出立したのです。
道中に通過する【立山連峰】を
無性に、
視界に入れたかったのです。
青春期から、
この連峰の山々を・何度・仰ぎ見たことか。
私にとっての【立山連峰】は、
決意して門を叩いた【歯科医学】と重なるのです。
そびえ立ち、眼前に立ちはだかる【神宿る山】。
青春期から、私にとっての歯科医学は、
そのような【畏れ多い聖域】だったのです。
最近、
父を亡くしました。
死の事実を伝えるメールが1つきり。
何処で、何故、通夜、葬儀の日程、場所は、
全く・知らされていません。
寝床でメールを見、
再び、
横になりました。
2週間ほどは、
消化できませんでした。
父の死の事実では・ありません。
親族への怒りです。
父は絵に描いたような【商家の三代目】でした。
そのような生活を横目で観ながら、
私は家業から脱離したのです。
私の離脱は、
いつかは【暖簾】を下ろすことを意味します。
父息子の男同士の【相剋】は、
命の取り合いに・発展します。
私は青春期前半に、
父と離反しました。
父は私にとってみれば、
反面教師でもありましたが、
この頃、
父の顔を毎日、何回も、
思い出すのです。
彼には・ああするしか・無かったのだと。
私の流儀とは、
全く相反し、会いまみれることは無い父の人生です。
でも、
私は父の生き方を否定できない気持ちに・なっています。
ご先祖様の御仏壇の過去帳に、
命日の日の頁に、
父の俗名、その父母の名前と続柄、
享年86歳と記しました・が、
戒名は書けて・いません。
知らないからです。
遺骨も埋葬されていないようです。
墓地は私が管理していますから。
この状況を身を以て・あじわい、
父が親族間で全く影響力がなく、
自分の意思も無視されてきた人生だったからこそ、
放蕩に走ったのだと・悟りました。
私の性格上、
良好な父息子の関係に修復は不可能だとは、
頭では・理解できているモノの、
私の器の未熟さも、
否が応でも、
昨今・しみじみと味わっています。
随分と昔のことになりますが、
馴染めない父を助手席に乗せて、
北陸道を走った機会が・ありました。
その際の、
父と交わした会話、
父の表情を、
思い出すのです。
立山連峰に冬は・ソコまで来ています。
私の人生を、
もう一度・見つめ直す今日・この頃です。