中学3年の娘への歴史のお復習いの中で、
読書の意味について・
ついつい、
熱が入って・力説していたノです。
あなたが大人になった時、
たまたま、
パパの蔵書に目がゆく事があるだろう。
その時、
本の背表紙のタイトルが目に入る。
で、
何の気なしに、
引っ張り出して、
頁を捲るかもしれない。
いいか!
あなたの視線が追う活字を、
確かに、
昔・パパも追ったのだと、
思い出して欲しい。
同じように、
あなたの視線に入った本のタイトルも、
昔・パパが、
なにかしらの心の琴線に触れて、
お金を出して・買ったモノだと云うことを。
其処に、
血の繋がりを感じて欲しい。
何故、
その書籍に興味を抱いたのか。
その時、
あなたの環境は?
あなたの悩みは?
あなたの心情は?
其処に、
生きた活字の強みが・アルンだよ。
電子ブックだと、
そんな情景・ないわな!
いいかぃ?
人はいつか・死にます。
それでも、
生きた軌跡を、
遺した書籍からでも、
子どもたちへの、
決して声にはならないノだけれども、
メッセージを送りたいモノなんだ。
ソレが、
男の親ってモンだ。
【常在戦場】
山本五十六元帥の遺した書を
私は大切に、
毎日、毎日、
何度も、何度も、
視界に入れるのが、
呼吸と同じ行為・になりました。
医療人である私ですが、
東郷平八郎元帥、
加藤友三郎大将、
山本五十六元帥、
山口多聞中将、
小沢次三郎大将、
などなど、
尊敬する人物は、
帝国海軍の将校の面々。
戦艦大和の特攻出撃の際に、
艦と伴に散った・伊藤整一艦長の家族への遺書も、
何度・読み返したのか判りません。
其処に、
紙に文字を書いて、
残すという、
大変重要な行為を、
人は便利さ優先の言い訳で、
粗末にしているように思います。
反論もあるでしょうし、
記録保存的観点からは、
データー化の優位性は認識しています。
しかし、
ソレは専門家なり国の業務だと思います。
人が学ぶ時代には、
絶対に、
背表紙のある書籍であると、
古い私は・そう信じています。