歳をとると、
淋しいモノですね。
本音を吐ける相手が居なくなる。
立場の違いや、
相手の返す言葉が容易に判ってしまうので、
聞いても無駄だなと。
うさを外で晴らすとか、
盛り場で発散する、
それでストレスが解消できる方を
羨ましく感じます。
年々、
背負う荷物の重さが、
肩と背中にグッときます。
それでも、
足腰に力を込めて、
踏ん張って、
歩き進むのが日本の男です。
先日、
診療室のデスクでカルテを書いている最中、
宮田君と女性の患者さんが雑談に興じていました。
で、
ウチの主人が言うんです。
オレを嘘つき者呼ばわりしないでくれぃ!
笑いながら、
そう口にする宮田君に、
患者さんも、
そうなのよ。
男って、
どうして見え透いた嘘をつくのかしら?
二人の視線は私の方に。
私は答えました。
それは決して嘘ではありません。
その場しのぎの術と言います。
理屈、言葉では、
男は絶対に女性には勝てません。
かわす手段、
恐怖からの逃避反射なんです。
お釈迦様も仰られているではないですか?
嘘も方便と。
あらっ、先生はカトリックでは?
でしょ?
男の言葉に対して、
女性は瞬時に反論できる脳ミソを持ってるのを
男は身体で判っているのです。
全く同じ台詞を、
私も毎日のように聞かされています。
幼い頃の両親の夫婦喧嘩を
今でも鮮明に覚えています。
そのような、
第三者的眼での実況から、
男は女性の口達者を知り、
青年期の恋愛を通して、
女性の涙と云う武器の怖さに降参し、
所帯を持ってからは、
つくづく、
男はツラい者だと悟りの境地に達するのです。
仕事のストレスは、
仕事で打ち勝つこと。
他人との人間関係からくるストレスは、
関わらなくても済む相手であれば縁を断つ。
上司や同僚、取引先であれば、
人事が変わるまでひたすら耐える。
部下でのストレスであれば、
部下を誉め殺し、
滞る仕事は自分が黙って背負う。
子供からのストレスであれば、
製造者責任だと思い、
ひたすら子供を信じて、
神仏に祈る。
女房からのストレスであれば、
視る眼がなかった自分を悔やみ、
諦めの境地に早々に入る。
他に女性を作っても、
結果、
女性と云う生き物は同種であることを忘れては、
もっと苦しみを味わう羽目となる。
カトリックの祈りのなかに、
主よ、あわれみたまえ、
キリスト、あわれみたまえ。
そのような文言が在ります。
何度も何度も、
唱えると、
気持ちが楽になるかもしれませんよ。