くじけないで、あきらめない


先の新潟行きの際に、

世界を市場とするトアル大企業の御曹司が

鞄持ちとして同行したのです。

お母上からのご依頼でもあり、

私も此の若者に好感を抱いたからです。

若者との時間は誠に清々しく、

此方の方が逆に学ぶ処が大いに在ったのも事実です。

大企業を将来、引っ張ってゆく跡継ぎの苦悩は

並大抵のものではありません。

しがない市井の歯科開業医でしかない私に、

何故、

彼のお母上がご子息の子守り役としてお選びになられたのかは

皆目、判りません。

私も50の半ばです。

もう人生の階段の踊り場を越しています。

残りの人生は人のお役にたつようにと

そんな風に思っています。

他人目からすれば好き放題の生き方に観えるかもしれません。

しかし、

好き放題を貫くには、

大変なエネルギーを要することを

私は経験的に知っています。

横槍もしばしば入ります。

横槍どころか邪魔など日常茶飯事です。

言われなき誹謗も受けます。

何度、折れそうになったか判りません。

そんな時に、

樹木の年輪を思い出すのです。

過酷なストレスがかかった時に、

樹木は大きく成長します。

年輪を眺め、

逆境の際に、

あぁ、成長のために必要な時期なのだと。

樹木は自ら倒れることはありません。

ならば、

私は意思を持つ人間です。

ただただ頑張って、踏ん張って、

くじけない、あきらめない、

黙々と継続することが、

花咲かせる源であると。