昨夜は遅くまで息子と電話で話ししていました。
もう少しで、
先の東北大震災の、
あの日を迎えるからです。
私と息子がこの話題について、
マトモに話しを交わしたのは、
あれから初めての事です。
6年もかかりました。
当事者であった私らが、
互いに互いの口から、
この話題に触れるに、
6年も要したのです。
胸の中に大きく開いた孔は、
生涯、消える事はないでしょう。
6年の月日が、
色々な過ぎ去った過去の評価を生んでいます。
耳にすると、
怒りさえ覚えるのです。
その場所に立った人以外に、
あの日を語る資格はありません。
静かにただ、
黙祷を捧げ、
御霊に祈りを捧げるだけが
人の所作だと思います。
あの日を迎える度に、
自然と涙が流れ、
心が空虚となる自分がいます。
ふざけた輩、
能天気な輩、
気儘な輩、
無神経な輩、
この種族の多い光景に触れ、
寒気を感じます。
本当に多くの命が、
ついこの間亡くなったのです。
それを教訓に、
この国は何かを学んだのでしょうか?