私の履歴書 7.


古い奴だとお思いでしょうが~♪

ってな歌が在りましたが、

そう、私も古い時代の人間です。

風呂は男が先に入る。

魚は、頭の側は男が食す。

鮨職人に女は認めない。

ほらほら、ねぇ?

私の考えに女性は

反発心をお持ちになられるでしょう?

別に女性を下に観ている訳ではありません。

男と女は違うって思っているだけです。

遭難船に乗っていたならば、

先に逃がすのは、

女性と子供ですよ。

そういう類いの違いなんです。

筋目をとても、大切に思うのです。

この様な私の価値観は、

私の幼少期の環境が影響していると思います。

子供の目で観ても、

筋目を正す大人、

いい加減な大人、

私はジッと観察する子供だったと思います。

今でも幼い頃の絵本を覚えています。

イラストから文章まで。

また、

好きだった百科事典の隅々まで覚えています。

絵を描くのも好きでした。

描く対象はイツも一緒。

城の天守閣です。

先の尖った硬めの鉛筆を使って、

石垣の石、ひとつひとつを、

瓦の1枚、1枚を、

精密画の自己流って云うんでしょうか?

初めのうちは、

姫路城や松本城などの模写から始まり、

小学校高学年の時には、

想像上の自分の天守閣を描いていました。

水彩画のボヤけた画風は、

完全に好みの外でしたね。

私を観て、

親なり親類は、

母方の祖父の名を出し、

その血を引いていると、

悲しんでいましたね。

発明で多くの特許を持っていた人でした。

で、

自動車、女が大好きで、

家宅の人であった事から、

変わり者で、

家族を泣かせた不忠者って

聞かされていました。

その息子が、

海軍兵学校から海軍士官となり、

終戦後は、婦人科医師として生涯を終えました。

私は、この叔父に随分と可愛がって貰いました。

で、

この叔父も、

自動車と女が盛んな人でした。

ただ、とても、とても、筋目を通す人でした。

曲がったことは決してしない人でした。

懐の深い情の人でした。

親類が、事ある毎に、

祖父と叔父をこき下ろすので、

私は叔父に問うたのです。

ー おじちゃんはどうして女が好きなん? ー

で、

ー 俺が女好きなんじゃないんや、俺がモテるんや ー

なるほど、

それも一理ある。

幼い男目にも格好良い叔父でしたので。

それならば、仕方がないと親に伝えたら、

頭をヒッパタカレタのを思い出します。

当時はまだ、山陽新幹線が開通したばかりでした。

院長室の裏庭に並んで腰掛け、

目新しい新幹線が、

今ではビル群に変貌してしまった田園の向こう側を

疾走するのを眺めながら、

自分の考えの全てが正しい訳ではない事を知っておきなさい。

それでも、

自分の信じる道を歩きなさい。

私は叔父との関わりで、

大人になって行きました。

自動車の講釈。

女性との関わり方。

お金の使い方。

私は叔父のコピーと、

親類から冷や水を浴びせられたことも在りましたっけ。

私の息子ですが、

確実に、

私らの血を引いていると、

横顔を眺めながら、

そう、思っています。

追伸の追加

私は女性は既に卒業。

現在は、犬オンリーですので。