父息子


 新潟の明訓高校に通う愚息は
私が電話をかけても、
メールをしても
返事が返ってくる事は
稀である。

 と云っても
早朝からの電話の着信音に
慌てて標示を除きこむと
愚息からの
突然の電話である
場合が多い。

 但し、此の突然の電話には
ある規則性が在る。

 其の規則性と云うのは
月末、
或いは
月末の仕送りを
嫌がらせの積もりで遅らせて
月初めになっても
仕送りをしないでおいた際にである。

 こうでもしなければ
奴から電話を掛けてくる事は
先ずもって無いのである。

 此方も大した用事などは
特別には無いのであるが
親としては
息子の声を聞くと
安心するもので
電話を掛けての
ノーリアクションは
誠に腹立たしい
想いとなる次第である。

 最近は
此れにも慣れっこになって
連絡が無いのは
元気な記しであろうと
腹を括った私である。

 私の若い時分も
都合の悪い時には
親からの電話には
逃げ回り
観念した際の
言い訳は
忙しかったと
決まっていた。

 若い奴に
何が忙しい事など
あるはずも無いが
自分と照らし合わせても
愚息を責める資格など
無いと妙に判った親父と
なってしまう私である。

 愚息が今後、
どの様な人生を歩むのか
親に出来る事は
黙って信じて
見守る位が
関の山である。