【疲れ果て、貧困にあえぎ、自由の息吹を切望する民衆を私に与えたまえ】
ニューヨークに立つ【自由の女神】の台座に刻まれた詩です。
プロ野球の松井選手がヤンキース時代に、
小学生であった倅と共に当地へと出向いた際に、
二人して見上げた誇らしい女神の像は
今でも確りと瞼に焼きついています。
この詩は、凡ての行いなり心構えに当てはまると。
私ら大の大人が真剣に、
虫歯の制御に取り組んでいる姿に、
アホらしいと云う冷たい目差しを感じる時が在ります。
患者さんが歯を失う基の基を辿ることに
私は恥など感じません。
他人からの評価や批判よりも苦しく重圧となるのは、
研究のヒントなり鍵が見付からず、
行き詰まった時です。
こういう時は、幾ら文献を査読した処で、
また、試験管に向き合った処で解決案など
安易に生まれる筈もなく。
で、毎日、毎日を虫歯の患者さんを診察しながら、
なんとか虫歯を叩きたいという闘志だけが空回り。
診療室のデスクの上の、
自由の女神の下で幼い頃の倅と二人して並んで撮った写真を横目に、
冒頭の詩を思い出すのです。
移民が憧れて焦がれて、夢一杯の胸中で、
この女神像を仰いだ時のように、
私の胸も、歯を守る番人としての歯医者でありたいという
原点にたち返って、清々しい心で、
日々の患者さんを迎えたいと
兜の緒を締めて、
決意新たに過ごすと。