今から35年は経過した遠い昔の事であったので、
歯科医に成り立ての頃は忘れて仕舞っていたのですが。
当時は東京都にてご開業の飯塚哲夫先生が、本学のご卒業ということで特別講義をされた記憶があります。
大学病院が最先端の治療の場であって、開業歯科医は先端技術を走っていないという誤った認識を正せたこと、
開業歯科医でも志し一つで、立派に社会貢献できる事を知った良い機会を大学は造ってくれたと、
今になって感謝しています。
で、特別な開業歯科医が居ることを知った私は、身近にも、
その様な特殊な開業歯科医の存在を知ることになりました。
クラスメイトのご両親が、当に歯科界の巨星である事を知った訳です。
群馬県前橋市にてご開業の浅見 裕先生、保子先生御夫妻でした。
保子先生は既に鬼籍へと入られ、裕 先生も既に引退されました。
両先生から幸運にも、近代歯科医学の巨星たちとの知遇を得る機会を得たことで
私の歯科医としての人生は大きく変わったと言えると思います。
まさか当の私が、逆の立場となって教壇に立つことになるとは思いもよらず、
だからこそ逆に、学生たちの脳裏に強烈に私の仕事を焼きつけることに
2時間程の講義時間ですが、凌ぎを削って語っています。
写真は、裕 先生が伝統の浅見歯科医院の看板を下ろされた時に、
今は解剖学の教授となられた一人息子である私のクラスメイトと共に
私の診療所へと足を運ばれ、
帰られる折りにソッと私に手渡して下さった直筆の色紙です。
昔の臨床医は凄まじい情念を持ち合わせていました。
が、それは爆発的な、そして決して顕在的な性質のモノではありません。
初老の域に差し掛かった弟子たる私に対しての、
師としての最後と教えであったと感じています。