夜なべの徒然なるままに


長い人生の中で様々な経験をして人格が形成されます。

辛苦に対しても礼を述べなければならないと思います。

但し、気苦労の大半は自身に原因が在るように思います。

論理的に物事を整理できれば、多くの悩みは解消するはずです。

そうも往かないのが人生。

例えば子供の気苦労は、理屈抜きで親なら生涯続くでしょう。

アル時まで、私は悩みを抱えた時には他人の意見を求めていました。

何故なら、自分に自信がなかったからです。

私は18の歳で、この歯科の道に入りました。

で、何十年。

ただただ、歯科道に没頭して過ごしてきました。

ですから、どう考えて観てもバランス感覚の採れた人間でないこと位は自覚していました。

逆に云えば、そのように客観的に自己判断出来ない医者は阿呆だと思っています。

ですから何かしら問題に直面したときに私は、原因の根本が自分に在るのならば

その欠点を自らで治さなければならないと考えて、他人の意見を求めていました。

今、現在の私ですか?

色々な不快なことは続きますよ。

不安な気持ちにもなります。

が、こういうことってのは結局は私の力では解決出来ないんだと悟りました。

ですから、他人に相談することは無くなりましたね。

こういう事を言っちゃなんですが、

私の歩いてきた道筋の厳しさに、普通の方は選ばないでしょうが、先ずは耐えれないでしょう。

現状も同じこと。

聞くまでもない。

私は正否は兎も角、私の前の道は自分で木をなぎ倒して歩いてきましたから。

娘たちも大きくなりました。

口答えもされます。

そのような時には、頭をパシンと叩きます。

児童虐待ですか?

これが児童虐待だとお感じになられる方が居られるとしたら、

是非にご自身の頭の中と判断基準を虐めつけるべきだと思いますよ。

世の中が変に萎縮し過ぎて、私は自身の子達をこの国に託せない想いを強く持っています。

等など考えながら、珍しく今夜は夜なべです。