商家に生まれた私が・歯科医学の道を選んだ歳に、
合格通知を見た・両親や親戚一同は、
お前は貧乏になりたいのか!
と・馬鹿にしました。
それ程に・大きなお店の跡取り息子だったので、
商人からは、
自然発生的に・私を本気で馬鹿に・そう信じていたのだと・思います。
海軍兵学校を卒業し、
戦艦大和の沖縄特攻のために
駆逐艦雪風に乗船し出陣し・無念の生き残りの後悔を生涯・胸にしまいこん
で、終戦後は、
京都府立医科大学へと進み、
千葉大学医学部の大学院へと進学し、
産婦人科医師となった・母の兄である叔父だけが、
大変な道だぞ。
精進しろと、
私を正視して・語った表情が・忘れられません。
その後、
私は・一心不乱で、
歯科医学に・しがみ付きました。
多くの・犠牲をも・払いました。
私が・カトリックの洗礼を受けたのも、
罪の赦しを・神さまに・おすがりしたい思い
からかも・しれません。
ただ、
歯科医師としては、
正しい道を・歩いてきた自負は・あります。
最近、
縁の薄かった母を、
薄情で・人の道から外れた、
これは母のも・責任の一旦は・あると思います。
この惨めな暮らしを、
東北地方の・最底辺レベルの老人ホーム、
老人ホームとは・名ばかりで、
姥捨山のような環境で、
実の娘夫婦に・余儀なくされた母を、
母の助けの叫びに、
私は・母を引き取りました。
2ヶ月ほど・経ちました。
穏やかな・安堵な日々を得た母の表情は、
仏様のように・穏やかに・なりました。
しかし、
残念なことに、
情のない・人の存在をも・知りました。
思うところ・さまざまな・短い期間ですが、
人生の・大きな勉強になりました。
薄情で・自己中心の人は、
その人の遺伝的因子か、
生きてきた軌跡に・由来していますので、
本人の。余程の自覚がなければ・治らないでしょう。
視野の狭い・器の小さな人間です。
私は、
勇気を・振り絞って、
このような人との・縁・を、
切り始めました。
厳しい選択です。
悩むし、
自分を責めることも・多いのが・現実です。
が、
私は・良い人たちとの、
新しい・えにし・創りを・優先するべき年齢になりました。
そのような過程の中、
母を、
サーティーワンに連れて行って、
アイスクリームを・嬉しそうに食べる母を見て、
人の原点に・帰ろうと・思うんです。