繰り返し


もう・何十回も・読み返した

司馬遼太郎氏の・坂の上の雲の

第1巻の表紙を開いたのは、昨夜の床の中。

何故、

今、

坂の上の雲なのか?

昨日、

ある若い方から、

先生の座右の銘って?

そんな大袈裟なモノでは・ありませんが、

不動心、

鬼手佛心、

そういう言葉を、

依頼された時には、

色紙に認めていますよと。

意識はしておりませんが、

恐らく、

私の身体の中を・突き通している・心棒みたいなモノを

具体的な表現で・言葉に表せたら、

不動心・鬼手佛心って・ところなのでしょう。

が、

色んなことが、

揺さぶりを・かけてくるでしょっ。

例えば、

今時の新型コロナウィルスに対する対応の適否を

自問自答・再評価する毎日の中なり、

最近の歯科医療の荒れ様を、

新患の患者さんの口腔を通して、

否応なく、観ざるを得ない時など。

歯科医学にも・確かに王道というものが・あるんですが、

道から逸れた・今にも倒れそうな自転車のような治療に接するんです。

自転車・漕いでる・ご本人は、

走るのに必死で・気づいていないんですね。

これが・また不思議なんです。

私らの時代には、

今、

自分が・何処の・どのあたりに居るのかを解った上で、

そのレベルの向上のために、

悩んだり、苦しんで、

努力する人、

途中で・投げ出す人。

そんな風に、

進み方の違いはあるモノの、

自分という存在は、

一応、

認識できる能力は・確かにあったと・思います。

が、

今は・違うんですね。

例えば・根管治療が良い例です。

もう・やめろって・言いたい歯科医の・多いこと。

なんとか学会の認定医って類は、

それなりの知識に共通点がある・一応のレベルに達していましたが、

今は、皆無。

で、

よく会話を進めると、

自分の専門領域の治療が、

たかだか近代歯科医学なんて100年程度の歴史ですから、

その昔に・立ち返って、

時系列的に、

学術論文を読み解いてゆくと、

何故、

今、

このような学理があって、

こういう治療方法が出来上がったのか。

道を・辿ると、

よく判るモンなんです。

こういう手間暇を、

今の人たちって、

恐らく・して・いないんでしょうね。

同業として、

考えさせられる・毎日ですよ。

そんな時でしょうね。

坂の上の雲の・出番が来るのは。