敬老の日と・アベマリア


昨日は、

敬老の日・だったん・ですね。

讃岐で生まれ育った母が、

東北地方の何処かの・老人施設で、

何をして・過ごして・いるのでしょうか?

新型コロナウィルスの感染対策として、

施設は・家族をも・受け入れて・いない筈です。

文化圏も・言葉も・生活習慣も異なる人たちと、

気位の高かった

母は・どのように・過ごして・いるのでしょう。

みんなと・仲良く・できてるんでしょうか?

昨年の・この日の、

母との電話での会話が、

生涯最後の・母と息子の会話になると、

話しを・しながら、

薄々とは・察していましたが、

本当に・そうなりそうです。

姉夫婦を頼り、

東北地方へと移住した両親の気持ちは、

理解できます。

が、

超高齢者の・心と・冷静なる判断とに、

大きな【差異】が・あることを、

周囲の人間が・認識しなければ・なりません。

讃岐の人間の、

終の棲家が・東北地方というのは、

しかも、

母は・娘夫婦と一緒に暮らせると信じ、

何から・何まで、

姉夫婦に・預けた訳です。

心に付け込んだ、

ハシタナイ・この夫婦と、

どうしても・接したくない・というか、

拒絶反応が・躰を硬直させるのです。

普段の私ならば、

単身・乗り込んで、

母を連れ戻すのですが。

ソレが・どうしても・できないのです。

何年か前に、

姉の夫と・雑談する機会が・ありました。

どうやら・新幹線のグランクラスを利用したようで、

サービスで、

各種アルコールが飲み放題であったので、

片っ端から・飲んだと、

さも・幸せそうに・語るのを、

ハシタナイ・イヤラシイ・育ちの悪い奴だと、

聞き流し、

他の雑談からも、

教養の無さの見本市のような奴め。

コレじゃ、

女性にも・相手にされぬから、

姉程度の・女に引っ掛かってしまい、

それも、

大損したことを、

何十年経っても・気づいていない大馬鹿者だと、

私は・大いに納得したモノです。

私は裕福では・ありませんが、

けちん坊では・ありません。

恐らく、

肌着以外の物・という物は、

全て・懐にし、

母は・父の骨壺だけを・手渡れたんだと・

人伝に・聞きました。

私腹を肥やす事と、

贅沢なくらしをすることだけに・幸福感を持つ

この夫婦と、

会話が・通じる訳も・無く。

母を案じる気持ちが、

段々と、

怒りに・変わってきたのです。

イケマセンね。

マリアさまに・祈ろうと・思います。