商家の・どら息子であった私は、
大学生という身分にも関わらず、
高級料亭や割烹、
1流ホテルのレストランに、
日頃から、
当たり前のように・出入りして・いたのです。
ビビりませんよ。
ソレが・私の当たり前でしたから。
店の女将や、
レストランの支配人たちとも、
仲良くし、
休日には、
プライベートで、
アチコチに連れて行って貰ったモノでした。
せめてもの救いは、
私が・クラブやラウンジには全く興味を持たず、
ただただ、
料理店にのみ・大きな関心を示した事でしょうか?
しかし、
料亭に・芸子は・つきもの。
その類の・お姉さん方には、
ソレは・ソレは・お世話になったモノです。
青春期の・この環境は、
その後の私の・感性に、
大きな影響を及ぼしたと思います。
今の人が聞くと、
ナンと非常識な家庭で・育ったのか!
大きなお叱りを・受ける事でしょう。
しかし、
育った家庭は、
私が選んだ訳では・ありません。
私の・定めで在ったのだと・だけ、
言い訳させて下さい。
私なりの教育法は、
今の時代には・そぐわなく・なりました。
小粒に・小粒にと、
周りからの・無言の圧力で、
若者たちが、
羽ばたき難くなった世間を、
恨めしく・感じます。
1生は・1回キリです。
悔いのない・人生を送ることを、
若者たちには・再認識して頂きたいと・思います。
そして、
悔いのない・人生を送るためには、
沢山の・汗と・涙を流すことも、
躊躇わないで、
トライして・頂きたいと・思います。