私の青春期。
いっぱい・遊びました。
でも、
いっぱい・勉強も・しました。
当時の開業歯科医師には、
大勢の【筋金入り】が・群雄割拠していました。
職人であり・医者である・ホンモノの【歯医者】に、
憧れを持って、
巨星たちの著作に・夢中になったモノでした。
その中の・お一人が、
広島県尾道市で御開業の中尾先生でした。
私が30歳くらいだったと・思います。
何人かの患者さんを、
中尾先生に・お願いしたのです。
私が他の歯科医師に、
患者さんをお願いする基準は・幾つか在りますが、
決定的な決め手は、
器用な手先、
優れた美的感覚、
人間愛、
歯科医学への情熱、
この4点に・限ります。
単に・知り合いだから、
友人だから・という理由で、
患者さんを・お願いした事はありません。
中尾先生にお願いするたびに、
丁寧な・解説を頂いた事を・鮮明に覚えています。
私は中尾先生に・会った事はありません。
ソレでも、
先生の哲学は、
著作を繰り返し拝読する事で、
私なりに・消化していたのだと・思います。
先般、
広島県へと転勤される患者さんが・居られました。
で、
直ぐに、
私の口から出た・歯科医師の名前は、
中尾先生でした。
ある時、
その患者さんから・問われたのです。
ホームページにて、
中尾先生の診療所らしき処を見つけたのですが、
女性の院長先生だったと。
私の30代と云えば、
レイモンド・キム先生、
本多正弘先生、
内藤正裕先生、
伊藤雄策先生、
この巨星たちの中で、
揉んで・揉まれて・といった時代でした。
その勢いを得て、
一気呵成に駆け走って、
57歳に・至りました。
中尾先生との・縁が、途切れていたのです。
が、
常に、
中尾先生の存在は、
私の頭の中にズシリと・刻まれていましたが。
数日間・悩んだんです。
中尾先生は・どうしたらンだろう?と。
で、
直ぐに電話をかけたノです。
受付嬢に、
私は香川県高松市で開業しております三枝と申します。
私は現在、57歳に・なりますが、
今から30年近く前に、
先生にお世話に・なった者です。
そりゃ・受付嬢・困りますよね!
当然、
院長先生は治療中ですから。
私の携帯電話の番号をお伝えし、
改めて・お電話を頂く事に。
そんな、
私の携帯電話に着信履歴が残って、
コチラから・かけ直し、
で、
また、
私の携帯電話に着信履歴という繰り返し。
夜、
自宅にて犬たちと遊んでいた処、
やっと、
お互いが・繋がったという塩梅。
女性の声でした。
中尾先生の御令嬢との事。
で、
お電話を頂いた時に、
直ぐに三枝先生と・判っていました・と。
なぜっ???
と・問う私に、
父から生前、三枝先生のことを・聞いていました・と。
!!!!
残念ながら・中尾先生は67歳の年に、
病にて・天に召されたとの事でした。
御令嬢と・いっぱい・お話し・しました。
あの中国地方の巨星の御令嬢。
その看板を・引き継ぐ事は、
大変な重圧下に在る事は・容易に理解できます。
私は歯科医学を愛する人が・好きです。
会話の中に、
巨星の大いなるDNAを立派に・引き継がれている事が、
ヒシヒシと・伝わって・きました。
コロナウィルス騒動が終息・収束したら、
御仏前に手を合わせる事を・お約束して、
電話を切りました。
今日、
少しばかり・時間ができました際に、
仏具店へと出向き、
お線香を求め、
診療所にて、
自分で・包装し、
宅配便に託したのです。
一般の方には・理解できないかも・しれません。
が、
歯科医学を愛する者は、
天に召されても、
歯科医学を愛する者の記憶から・消えません。
血の繋がりなど・無くても、
会った事が・無くても、
歯科医学を愛する者は、
旧知の間柄より、
互いを判り合えるノです。
ここに、
歯科医学の魅力が・在るのです。
中尾先生の臨床。
一言で表しますと、
一輪挿しの美学が・在りました。
先生のご冥福を・心からお祈り申し上げつつ、
引き継がれし・新たなる院長先生に、
どうぞ【歯科医学の王道】を歩まれますようにと、
エールを贈るノです。