先に、
カトリック教会を話題にしました。
でも、
私は神社仏閣へ出向くのも・好きです。
カトリック教徒だから、
お寺の御本尊さまには手を合わさないって・話しを、
あるカトリック教徒の方から・聞いた事がありました。
そのような筋金入りの方からすれば、
私なんかは・不謹慎な輩なのかも・しれません。
ただ、
掌を合わせる行為・自体に、
大きな意義が在ると・思っています。
掌を合わせる事。
ソレが、
祈りであるのか、
感謝の意を表しての事なのか、
それとも、
許しを求めての事か、
私には・判りません。
目の前の像は、
人が創作した物ですから、
作り手なり、
設置主なりの、
意図は・在るんです。
ソレも、
どうでも・良い事だと思います。
ただ、
何百年も、
一千年も、
二千年も、
その時代、時代に、
生きた人たちが、
同じように、
掌を合わせてきた・という事実の、
重ね合わせに、
大きな意義を・感じるのです。
私の一生など・儚いモノです。
あと50年も経てば、
私の存在など、
誰の記憶にも・残っていないでしょう。
それでも、
私が掌を合わせて祈った、
御像なり聖画を、
子ども・なり、
孫・なりが、
掌を合わせるに・違いないと、
それは・確信するんです。
生きた人間に・息遣いって・言うンでしょうか?
そういうモノ自体を、
私は肯定したいンです。
それが、
人の身体を与る【医療職】の本能・なんじゃ・ないですか?