月別アーカイブ: 2017年7月

進歩

昨日は朝のミサに出向いていました。

初心者の私ですから、

退職前にミッション系の幼稚園で先生をお勤めになられていたと云う

優しい女性信者さんが、

毎度、毎度、

面倒なお顔もせず、

よく面倒を看て下さいます。

で、

朝から気分爽快!

声高らか!に、

みんなで讃美歌を唄い、

あぁ、良い心持ちとなったのです。

でも、

帰宅に至る車中にて、

聞く音楽は、

相変わらず、

都はるみと石川さゆり。

しかしながら、

ますます気分爽快となったのは言うまでもありません。

気分が良いのも、

苦しいのも、

怒りも、

いろんな感情が在りますが、

これも生きている証です。

残念なことに、

生きたくても、

今、命を失う方も居られます。

生きているのも、

生かされていると感謝できるようになったのは、

私なりの多少の進歩かもしれません。

どうせ生きるなら、

誰かのお役にたてるようにと。

しかしながら別段、特技の在るわけでなく、

私には歯科の仕事くらいしかありませんので。

精一杯、努めさせて頂こうと。

ヤハリ進歩のない私でしょうか?

思い出

【人間商売】をこれだけ長い間やっておりますと、

本当に、

いろんな方々との出会いが在りました。

で、

つくづく感じますのは、

今在る自分と云うものは、

若い時分に、

どれだけ大勢の方々と関わり合いを持つ機会に恵まれたのか、

それで決まって来たような気がする、

と云うことです。

個性豊かな方々が、

結局の処は、

私の生きる羅針盤になって下さったと、

大勢のお顔を思い出しながら、

感謝しています。

ふと、

周囲を見渡すと、

みんなが同じことばかり。

みんながスマホ。

みんなが同じ歩調で。

みんなが同じテレビドラマを。

本当にそれで良いのでしょうか?

【ひと皆直行、我独り横行】

著名な書道家であった故 榊漠山先生の遺された有名な言葉です。

先生には本当に可愛がって頂きました。

晩年、先生は、

伊賀上野の山の中の邸にて、

奥方様とお二人で過ごされて居られました。

時々にお伺い致しました際には、

奥方様が美味しい季節の果物やお菓子でもって

もてなして下さったのですが、

お台所へと奥方様の姿が消えた瞬間、

私はササッと、

鞄の中からテーブルの下から先生の厚い掌に

あるものをお渡しするのです。

札束なんかじゃありませんよ。

先生のご自宅は、

山の中の田舎屋などではありませんもの。

それはそれは品格の良い大屋敷でいらっしゃいましたから。

若い私の大金など、

先生にとっては端金に過ぎなかったでしょうから。

頂きものは、

むしろ私の方が、

先生から多くの物を頂いたと思います。

先生の描かれた絵。

書。

生きる上での心がけ。

一番に思い出深いのは、

【一生懸命働きなさい、一生懸命芸の道に埋もれなさい】

先生から頂いた葉書には、

先生独特の書体でイッパイに書かれ、

私は手にして涙したものでした。

私の生きようは、

ぶれてはいないと自負しています。

それは、

その時々に、

個性豊かな巨人、奇人?の方々が

支えて下さったからだと思います。

で、

私が先生に手渡していた品ですか?

これはレトロな写真集とだけ申し上げておきましょう。

決して女性には判らないものです。

そういう悪戯心が、

男同士には通じる何かが在るのですよ。

昔、イッパイ夫婦喧嘩をしたものでした。

その際に、

私がどれだけ自己中で、勝手で、変わり者であるのかを

散々の台詞でもって、

ぶつけられたものです。

今になって思うのです。

それは判っていた筈じゃない?って。

私がみんなと同じようにできる筈ないでしょ?

穏やかな日々

もう7月です。

今年も後半戦へと。

年々、時が経つのを速く感じます。

これは歳をとった証拠なのだそうです。

明日の朝は、

教会へ出かけようと。

9時半から11時半までのミサです。

私は岡山県の牛窓の教会に縁を得ました。

ノートルダム清心学園の三宅聖子シスターのご厚意にて、

のどかな瀬戸内に面した小さな教会へと通うようになりました。

環境と同じように、

穏やかな心で、

患者さんをお迎えして、

歯科を通じてお役にたちたいと思います。

私には歯科しか、ありませんので。

とは言へ、

せがれがキチンと一本立ちできるようになるまで、

ご先祖様のお仏壇は私が守らねばなりませんので、

朝のお務めも、

いつものようにと。

そんなこんな日々を送っています。