家庭の事情にて、
長年勤務してくれた宮田君が退職し、
新しいスタッフに代わりました。
と云う訳で、
私の診療所は、
機材の準備や、
治療方法の違いますから
慣れるまで私がして見せねばなりません。
ブログを認める時間もないくらい
診療所の中をかけずり回っています。
今度のスタッフは英語も堪能ですので、
私はその辺は楽になれそうです。
家庭の事情にて、
長年勤務してくれた宮田君が退職し、
新しいスタッフに代わりました。
と云う訳で、
私の診療所は、
機材の準備や、
治療方法の違いますから
慣れるまで私がして見せねばなりません。
ブログを認める時間もないくらい
診療所の中をかけずり回っています。
今度のスタッフは英語も堪能ですので、
私はその辺は楽になれそうです。
木を観て森をずと云う言葉を思い出しますのが、
最近話題の日大アメフト部の一件です。
元来、
大学のスポーツと云うのは、
プロへの登竜門であると共に、
スポーツを通して、
人の道を学ぶ大きな機会だと思います。
青春時代を、
汗と涙とで過ごすことに
大きな教育効果があると思います。
大学時代をバイトに明け暮れる者も居れば、
競技に全てを費やす者も居る。
私は日大アメフト部の選手達の敬意を払っています。
事件の当事者たる若者の一連の行為に対しても、
大人よりも立派であると思います。
問題となったタックルに至るまでの
選手の追い込まれた心情に
心から同情するのです。
若者を預かる教育者は、
地を曝け出してはなりません。
本来の自分ではない自分を
演じて観せねばなりません。
人には欠点はあって当然です。
が、
無理してやせ我慢してでも、
演技し、
模範を示すことが教育者たる大人の姿です。
相撲界においても、
同じような事件がありました。
格闘技とは、
暴力との背中合わせですから、
指導者は、
その紙一枚の差の大きさを
若者に肌感覚で察知させることに
教育の大きな効果があるのですが。
当事者である選手が、
アメリカンフットボールが嫌にならないような
手当てを一番に考え、
処遇することが、
関西学院大学を始めとするアメリカンフットボール界の
今成すべきことと思います。
日大アメフト部を干すような行いは、
世間体を気にする大人目線としか思えないのです。
批判を受けるべきは、
選手たちの指導者です。
指導者の弁によれば、
処遇は第三者委員界に任せるとのこと。
武士なら、
自ら腹を切ると云う、
日本人古来からの武士道を、
この指導者は持って居られない様子。
この事件によって、
日大ブランドに傷がついたと云う日大学生のコメントがありましたが、
それも大きな間違いです。
大学のブランドに寄りかかって人生を送るのでしょうか?
日大と云う学びの場で青春時代を過ごしたという
人生の一幕だけであって、
これからの人生は、
自分で切り開いて、
進んで行かねばなりません。
社会は、
日大学生と、この事件を一緒にするほど
愚かではありません。
日大出身者で、
世間で活躍する方を大勢知っています。
が、
その活躍は、
その方の努力の賜物であって、
日大ブランドとは全く関係ありません。
コメントした学生よりも、
当事者たるアメフト部の学生の行動を観れば、
流石にスポーツ選手としての、
筋道の通った行いと感じるのです。
世間一般のお考えは判りませんが、
私はそう考えます。
巷で私はインプラントの先生って言われます。
確かに私はインプラント治療と共に
歯科医師人生を送ってきました。
しかし、
私のインプラント治療は【歯科保存学】がベースになっています。
家族からも、
【歯科保存学】って何?
って聞かれます。
【歯科保存学】の基本は、
歯を残す。
神経を残す。
出来るだけ削らないで歯質を残す。
歯の周囲の骨が溶けないように保存する。
とにかく、
組織を保存する事を徹底するから、
【歯科保存学】なのです。
大学での1日は、
座る暇もありません。
今日も、
メーカーの開発者が2社ほど面談。
午後かけ夕刻まで学生の実習指導。
終わり次第、
医局で煎餅を口に加えて、
教室へ移動し、
医員への講義。
朝は、
待ち構えて待っている研修医を
技工室へと連れて行き、
技工士長の関口君と、
昨日調子に乗って披露した技工の裏技を
実際に体験させてみて。
若い歯科医師に対しては、
若いからこそ、
大学院へと進学し、
ジックリと、
歯科医学の基礎を学んで欲しいと考えています。
足腰とパンパンに腫れて、
右腕が痛みます。
それでも、
私は母校で歯科医学の基礎を叩き込まれました。
後進への教育は、
母校への恩返しになりますし、
私の臨床のヒントも、
沢山、
見つける事ができるのです。
それが、
私の診療所へお越しくださる患者さんへ
また、
反映できることになります。
私の芸風も
まだまだ進化の最中にあるようです。
今は朝の6時過ぎです。
久しぶりに、
上越新幹線に乗り込んだ処です。
東京駅始発で新潟へと。
で、
駅弁。
朝から【唐揚げ】とお思いでしょうが、
次に食事できるのは、
夜の10時くらいです。
今、
食べておかないと。
こういう症例って多いんですが、
私は好んでブリッジ治療を選択します。
ブリッジの土台が生きているからです。
神経を取っている歯であれば、
将来的に折れるかもしれませんが、
この症例は、生きた歯です。
とは言え、
大臼歯は金属のクラウン治療の既往を、
小臼歯には虫歯治療の痕跡があり、
両者ともに無垢の歯ではありません。
対して、
インプラント治療を行う際には、
この症例はレントゲン検査において、
上顎洞底挙上手術が必要です。
あえて、
そこまでしてインプラント治療を行うよりも、
丁寧な手当てにてブリッジ治療を行うことをと、
私は確信しています。
歯の概形成です。
次回、マイクロスコープにて精密仕上げ。
とりあえず、
仮の歯を装着して。
今日の処はお仕舞い。
1892年に、
43歳と云う若さでジョンズ・ホプキンズ大学内科教授の職に就いていた
オスラー博士がミネソタ大学に招かれて、
医学生と教師のために講演をしていました。
最近の私は、
このオスラー博士やメイヨー博士の
著作や講演原稿を夢中で探し、
入手しては、
貪るように読んでいます。
それは、
私の環境の変化が、
その影響だと思います。
良き師に恵まれ、
良き患者さんと関わり、
多くの症例に出会えた私が、
無我夢中で体得した医術を
さて、
他人に教育する側になった時に
一瞬身体が凍りつくほどの責任の大きさを
ヒシヒシと実感しているからです。
歯科医学ほど魅力ある学問をしりません。
関連領域である医学書の多くを読むことも
私の仕事の一部ですが、
学問としては歯科医学の不思議さには
到底に叶いますまい。
ただ、
歯科医学、医学問わず、
大家と謳われた巨星の幹に
宗教と倫理、道徳が
血のように通っていることも知りました。
本当は、
対人関係が苦手です。
ですから、
読書、自動車の修理、犬と遊ぶ。
患者さんとの関わり合いですか?
それは、
別物です。
自分の専門知識と技術で、
患者さんが喜んで下さいますから。
大学での仕事でも、
大勢の人と関わり合いを持ちます。
正直、
色んな方がいらっしゃいますから、
ストレスは増えました。
でも、
スレていない学生諸君や若い世代の歯科医師は
カワイイですから。
やっぱり歯が好きなんデスね。
現在、資本主義のルールに乗っ取り、
医療系企業も生き残りをかけて、
より大規模な企業へ変化せざるを得ず、
合併と吸収を繰り返しています。
インプラント製造販売メーカーも
その流れに対応していることは間違いないでしょう。
30代の前半の頃、
今ではスウェーデンの企業ではなくなり、
ノーベルバイオケと会社の名称も変更した、
当時のノーベル・ファルマ社のブローネマルク・インプラントの
講習会のインストラクターとして、
現場の歯科医師への教育に参加した頃と、
現在のインプラント治療の様変わりには、
時代の流れをヒシヒシと感じています。
私の臨床の中で、
インプラント治療の適応と手順は、
ほぼ確立されています。
少しづつ工夫を加えてはいますが、
大きな幹は変わってはおりません。
歯に代わる人工の歯根を
長持ちさせることと、
安全な手術を行う。
その2点に徹底しています。
医学の進歩によって、
人類は寿命の延長という恩恵を受けています。
しかし、
骨格、筋肉、循環系、神経系の
老化から逃れることはできません。
高齢化に伴い、
唾液などの体液の分泌量も減少します。
当然、
反射機能も低下することはお判りでしょう。
そのような人の老化という過程の中、
私の手当てしたインプラントという
生きる糧を得るためと、
生きる喜びを味わう食のために、
絶対に必要不可欠な
噛む道具が、
長い風雪に耐えるようにと、
それが最優先事項だと考えています。
中学2年の娘の授業参観に行ってました。
で、
驚いたのです。
私の強い要望にて、
公立中学ではなく、
県外のミッション系の学校に入学させたのです。
教室の教壇の黒板の真上に
【主の祈り】の額縁を掲げているのを観て、
ソリャそうだ!
ごもっとも!
政治や教育と
宗教の分離を
声高々と、
そんな風潮に対して、
逆に違和感を持っていた私ですから、
カトリック精神のある教育機関を選んだ訳で。
【主の祈り】は、
朝に夜に、
毎日唱えているのですが、
これは宗教というよりも、
【道徳】の範疇にある
人の道だと思うんです。
【主の祈り】以上に、
私は1日に何度も
心の中で
【聖母マリアへの祈り】を捧げます。
例えば、
患者さんの診療に際して、
チェアーを倒し、
ハイ、お口をお開け下さい!
と、
お声かけする前に、
心の中で、
患者さんのために祈りを捧げるのです。
無論、
口には出しませんが。
診療行為という行いは、
神聖なる行いだと信じています。
確固たる診断と手当て、
そして、
患者さんへの愛情。
全力で診療に取り組んでいます。
でも、
私は生身の人間ですから、
もしかしたら、
間違いがあるかもしれません。
神さまは【万物の創り主】です。
その創造主が人間社会に送った
イエス・キリストの生母たるマリアさまです。
神さまもマリアさまからのお願いだったら、
聞き入れて下さるに違いない。
そんな想いで、
【聖母マリアへの祈り】を
治療の度に捧げるのです。
それが宗教的で、
医師の行いに反するのですか?
【経営理念】や【医療の効率化】を
重要視することの方が、
医師の道だとお考えですか?
いいぞ!いいぞ!
ノートルダム清心学園。
どんどん言って下さい!
【清き心で、愛の人であれ】
この建学の精神は青少年じゃないか?
女子校ですから、
なんて言うのでしょう?
教育の根っ子の最も大切な肝心処です。
【主の祈り】
いいじゃないですか!
【主の祈り】
天におられる私たちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。
私たちの罪をおゆるし下さい。
私たちも人をゆるします。
私たちを誘惑におちいらせず、
悪からお救い下さい。
【聖母マリアへの祈り】
アヴェ・マリア、
恵みに満ちた方。
主はあなたと共に居られます。
あなたは女のうちで祝福され、
御胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母、聖マリア。
私たち罪人のために、
今も、
死を迎える時もお祈り下さい。