生きる意味って?


つい最近の出来事です。

ある方から、

何のために生きているの?

そんな問いを頂きました。

40を少しばかり過ぎた方でした。

人は何のために生きるのか?

私の世代は、

少年期から青年期に至る期間には

必ず、

この問いと向き合い、

考え、

悩み、

書に答えを求めて、

友人たちと激論を交えていたものです。

その問いへの答えを容易に見いだすことは

恐らく生涯続くのではないでしょうか。

その日、その日を、

誠実に仕事に精を出し、

日ごとの糧を与えられて感謝し、

また翌朝も、

同じことを繰り返して年を重ねてゆく。

地味で変哲ない無意味な時間に感じていても、

それは経験という大きな自信と根拠の基になっていることに、

この歳近くになって気づきました。

私は歯科医師です。

私の人生は歯科医師として生きる。

それ以外のことを考えないようになりました。

歯で本当にお困りの方々のために

私の時間、エネルギー、思考の全てを

私は捧げる気持ちでカトリック洗礼を受けました。

その私自身で選んだ歯科医学を学ぶ道でさえも、

未だに修業の身で在り、

歯科の真意を見抜いてはいません。

私にとって生きることは、

歯科医学に身を委ねるという答えを

見つけたのは幸運かもしれません。

私が話しを終えて、

返ってきた言葉は、

生きる屍ですね!

そのようにお感じになられたのならば、

それは人それぞれの価値観ですから。

私には意見はありません。

楽しく生きたい。

笑顔で生きたい。

その方は、

そのように仰いました。

そのような希望に賛同出来ますが、

私は多少の違和感を感じています。

私の選んだ道は、

自分との戦いの連続です。

それでも、

その過程や結果から、

ささやかですが、

喜びや達成感から笑顔が漏れて、

戦いの過程においても、

工夫する楽しみを感じています。