藤沢修平氏の作品の味が私にはシックリと来ないのです。
私は叔父の背中を観て育ちました。
海軍兵学校を出て士官となり終戦を迎えたこの叔父は
産婦人科の医者になりました。
新しいモノ好きで、
女性が好きで、
車と鉄道が好きで、
ヤンチャな叔父でした。
院長室に鉄道のジオラマと、
大きな書棚には藤沢修平作品が在ったのを
今でも記憶しています。
叔父は京都府立医大にて医学を学んだため、
東北の人情なり綾を、
どれ程理解していたのかは解りません。
新潟と東北は、
細かな点に於いては文化が異なることを
新潟で青春期を過ごし、
東北の女と一度は所帯を持った私には判ります。
しかし、
西の文化からしてみれば、
新潟も東北も、
その趣の違いに大きな差はありません。
今でも何故、
叔父が藤沢修平作品に魅了されたのか?が、
私には解りません。
親戚筋の人間から、
私と叔父は、
同じ部類の人間であると、
蔑むように言われます。
この蔑みを、
私らには互いの流儀の証と、
口にこそ出しませんでしたが、
認めあう根拠でも在ったように思います。
世状に流されない自己主張を
私は叔父から学んだからです。
私は池波正太郎作品がシックリと、
そんな匂いの大人になりました。
私と叔父は瓜二つと言われるのですが、
心地良さを感じる匂いの違いの訳が、
今では不思議で堪りません。