週末は診療が終わってから最終のフライトで上京していました。
慌ただしく空港へと向かいましたので、
取り急ぎ、机の脇に常に置いてあるTHE LIFE OF BENJAMIN FRANKLIN
ベンジャミン.フランクリンの日記を鞄の中に放り込み、
飛行機に飛び込みました。
機中で、ホテルのベッドの中で頁を捲り、
この規則正しい、規律正しい米国建国の偉人の、コレマタ無駄のない文章に触れて、
清々しい心持ちとなりました。
何事も原著に触れる習慣が身に付いたのは、私は遅く二十代半ばになってからです。
大学院に入学して直ぐに、今は新潟市にてご開業の高橋博士より
翻訳された文献、著作の不正確さや、何よりも書いた本人のニュアンスを感じるには原著を読まねばならないとの言葉に
あぁ、そう言うモノかと、当時は素直!であった私はいたく感心して、
歯科保存学の父と唱われる歯科医であれば誰でもその名を知らぬ筈はない
G.V.BLACK先生のTHE TEXTBOOK OF OPERATIVE DENTISTRYに向き合ったのが初めです。
多くの辞書に囲まれて苦労し読破した際の、何とも言えぬ達成感に心地よい思いがしたのを覚えています。
研究生活のなか、海外の文献を読む必要性から身に付いたこの習慣は
ひとえに環境のお陰であると感謝しています。
国内の作家の認める文章に於いても、やはり好みというモノを感じます。
古くは永井荷風の文章の美しさに感動を覚えます。
現代の作家では、池波正太郎と伊集院静の文章が好みです。
何れの作家に於いても、無駄のない、でも確りと情景を身体全体で感じさせる【書く技術】を確立されておられます。
昨今は、専門家であっても技術のない仕事を何も感じていないのでしょうか?
平然と提供する輩が多くなりました。
その仕事の内容を吟味するに、やはり基礎的な足腰の弱さを感じます。
何の仕事に於いても同じこと。
焦りハヤル気持ちを抑えつつ、基本に帰ることが、一番の芸の向上の薬と、
私は信じて止みません。