月別アーカイブ: 2023年9月

奥歯の ダイレクトボンディング修復

私は ダイレクトボンディング修復が 好きです。

気分転換に なる からです。

この【銀歯】を ダイレクトボンディング修復 にて。

ホラっ

さま 変わり したでしょっ?

奥歯の 境目が 汚れた 白い歯治療は

もちろん

私の 治療では ありません からねっ!

【生きた歯】の 虫歯治療は ダイレクトボンディング修復に 限りますよ!

看取る

講習会を 終えてから

家人と 一緒に

母の 介護施設へと 行きました。

アイスクリーム

かりん糖

何故か?アーモンドフィッシュ

( コレを 母は 骨が強くなると 信じています)

果物

魔法瓶に 入れた 焙煎ホット珈琲 タップリ 砂糖 ミルク バージョン

コレが 差し入れの 定番です。

物凄く 喜び ます。

一人で しゃべって います。

嬉しそうに 完食します。

だんだん と

幼心 に 還って いるのを 実感します。

ただ、

私の 身体を いたわる 言葉。

一生懸命 働きなさい という 言葉。

お嫁さんを 大事に しなさい という 言葉。

全く いつもの 通り。

母の 姿に 触れる 度に

昔の

さだまさし さん の 【無縁坂】を 思い出す のです。

 

天気晴朗 なれども 波高し

朝 から 手術 して ました。

見学の 歯科医師 スタッフは モニター越し での 見学です。

手術室の 設備を 充実させて

手術環境が 汚染されない ように

見学者は 別室にて モニター越しで

手術の ドキュメントが 手に取る ように

見学できる ように と。

相変わらず

治療 と 講習会を 併用した 週末に 戻りました。

ある程度 キャリアを 積んだ

臨床経験ある 歯科医師の 教育へと

私は 進路変更 しました。

なぜって?

ガキ の 教育

恐い 恐い!

社会 は 厳しい のです。

プロフェッショナルの 世界に アマイ 考え

持ち込まれては

私は 迷惑なんです。

この間の 公立高校の野球部員が

監督を 引き受けた 教員の 「アホ バカ 帰れ❗」

発言を

親に 言いつけ

その親が 教育委員会へと 苦情を 申し立て

可哀想な その 教師。

休日返上で 監督を 引き受けた のに

【1週間の自宅謹慎】処分 だとか❗

その 話しを 聴いた 時

ヤッパリ 方針変更して 良かった と。

似た ような 矛盾ある 話しを

頻繁に 耳に するに つけて

【教育】という 【型に入る窮屈なる我慢】は

この国では

もう 無理だと 確信したのです。

登校拒否も 子供の意思を 尊重すべき なんです と❗

私らの 時代。

張り倒されて

耳 引っ張られて

引きずられて

泣く泣く 嫌々

行かされた モンです。

小学6年の 頃

今でも 鮮明に 覚えて ますよ!

当時 流行った 【ダウンタウンブギウギバンド】

アレ ですよ!

「あんたっ あの子の 何なのさっ?」

「港の ヨーコ 横浜 横須賀ぁ~」

掃除の 時間

ホウキ を ギターに

仲間と 合唱

コレを 見つけた 女性教師

ドッジボールの ように

私の 頭を つかんで

黒板へと 投げつけたっ!

結果

黒板が 壁に 固定した 枠から 外れて

壊れて しまいました!

私 ですか?

先生 どうも すみません でした

コレからは 真面目に 掃除しま~す!

それで お仕舞い。

帰って

親に なんか 言いませんよ!

言ったら

逆に

また お前は 悪いこと してって

拳骨 される のが オチ でした から。

学校の 先生って 恐い 存在でしたモノ。

学校の 先生の方が

親 と 生徒の 顔色 うかがう 昨今です。

ヤッテられません よねっ!

平和ボケ した 今時の 日本。

波風 ないように!

無難に 過ごせる ように!

でもねっ

国際間競争

波高し なんですが。

 

 

ファミリー の【絆】

ある 人物との 縁を 閉ざし

母 を 引き取り

加えて

私の 留守中に 無断侵入者が 診療所の

さまざまな

コンピューター の データー を 消去。

それを 契機に

さまざま な トラブルに 遭遇 した 私の 近況。

ただ、

私 の【ど心臓】は ビクとも しない し、

日常も 多くの 三枝ファン の 温かい ご支援 ご協力 にて

私の 日常は いたって 平常で 粛々 と。

【本当に歯で困った患者さん】は 多く

その 手当て に 専念する 毎日を 過ごして いました。

それが

その 無断侵入者の 意に 反した のか?

卑劣なる 仕掛け を

未だ 継続しようと する 気配を 感じて いました。

アホ やなっ!

程度 にしか 考えて いなかった

そんな 私を 案じ、

母の 縁者は 此処に

私 の 援助に 集結 したのです。

ホテル経営者 百貨店経営者 鉄道経営者 船舶運航会社経営者 などなど

さまざま な ジャンルにおいて

頂点を 極めた

大きな 影響力 ある 母 の 縁者たち。

私は その好意に 甘える 決意を 固めた のです。

私は カトリック教会の 信者ですから

紛争 争い は 好みません。

が、

蛇 の ような 執念で

姑息 卑怯 なる 振る舞いに

最早

私 は 勿論の 事ながら

母を 通じて

親類縁者 の

我慢 の 糸が 切れた のです。

北朝鮮 中国 ロシア との 外交 と 同じで

物指し が 違い 過ぎて

しがない 歯科医師の 私では なす術 も ありません。

そんな 私を 見かねたのでしょう。

昨日は 休診を 頂いて

母方の ファミリーの 元へと 大阪市まで 出向いた のです。

この戦

もう 私の手から 離れ ました。

尚登君!  君は 仕事に 専念せぃ!

あと は 小夜子さん を 頼むわなっ!

君は 好英君 と 同じで お人好し 過ぎる からなっ!

好英 というのは 婦人科医であった 母 の 兄

私の 尊敬する 叔父 です。

その夕刻

私は 叔父が 初めて 医院を 構えた

東二見 へと

急に

出掛け たく なりました。

叔父は その後

西明石へと 移転 したの ですが

小学生の 夏休み などの

長期休暇 の 際は

未だ 山陽新幹線の 線路が 田んぼ の 向こう側に 建設中で あった のを

大好きな 叔父の 医院に 泊まりこんで

過ごして いた 私は

その 光景が 未だに 瞼に 焼き付いて います。

移転の 際に

その医院は

他の 婦人科医に 売却した 叔父も

東二見が 俺の原点なんや!

と 懐かしそうに 言って いたのを 思い出した からです。

あの 田んぼ 独特の 匂いの 田舎街。

全く 様変わり して 都会へと。

あぁ 時代の 移り変わり を 感じざるを 得ない の でした。

叔父の 最初の 医院が 在った 処には

白い マンションが 建ち、

看護婦療 の 在った 場所に

後を 引き継いだ 先生も

恐らく 代替わり したのでしょう?

産科 の ない

婦人科のみ の 綺麗な クリニックに 変わって いました。

目に 見える 光景の 向こう側に

それでも

私の 瞼には 当時の 産婦人科医院 が 見える のでした。

急に

帰りたく なくなり ました。

で、

叔父が 移転した 西明石まで 戻り

夜中 の 3時に 出発すれば

余裕で

今日の 診療に 間に合う と 思い立ち

叔父の ついの 仕事場と なった クリニック 近くの ホテルで

骨休め したのです。

西明石も 懐かしい 処です。

大変換を 遂げた この街を

ゆっくり と 散策し

小さな 小料理屋へと。

明石 の【穴子】の 白焼き。

良い 店 でした。